@article{oai:shitennojiuniversity.repo.nii.ac.jp:02000018, author = {藤谷, 厚生}, issue = {71}, journal = {四天王寺大学紀要}, month = {Mar}, note = {ここで取り扱う文献資料『戒体』一巻は、現在は香川県善通寺市にある真言宗総本山善通寺に所蔵されている。本書『戒体』は浄厳律師が四十九歳の時、河内の教興寺(大阪府八尾市)に在住していた貞享四年(一六八七)中春二月十三日に書き始め、十七日に書きまとめたとされる短編の自説本(草稿本)である。内容は、真言密教における三摩耶戒の戒体説についての記述である。浄厳律師(一六三九~一七〇二)は、字を覚彦と言い、妙極堂、瑞雲道人と号した江戸前期の真言律の学匠である。律師は、河内国錦部郡鬼住村の上田道雲の子として生まれ、幼少から高野山に登り顕密を修学し、後に密教の諸流を研鑽統合して新安祥寺流を創草するなど、密教事相の面で特に多大な功績を残している。延宝五年(一六七七)には河内の故郷実家を改めて延命寺を創建し、後に江戸に赴き元禄四年(一六九一)には柳沢保明の推挙により、幕府の助力を得て江戸湯島に霊雲寺を開創し、これを如法真言律の道場とした。多くの僧俗に授戒するなど、戒律の普及と真言密教の復興に尽力した真言宗中興の祖と仰がれる人物でもある。本書『戒体』では、従来日本の戒律思想史に於いて、三摩耶戒の明確な戒体説が論じられた典籍があまり見受けられない中、浄厳律師の新たなる解釈によって、三摩耶戒の戒体の功能、特性が明確に示されている。それ故、三摩耶戒の戒体説の特性を理解し、また近世に於ける戒律思想を研究する上でも、本書は貴重な研究資料と言える。筆者は、近年偶々この書が善通寺に存在することを知り、所蔵者である善通寺様の許可を得て、今回テキストの写真掲載と本文の翻刻をここに提示する次第である。以下に翻刻本文・注記と写真を掲載する。}, pages = {1--8}, title = {『戒体』(浄厳覚彦述)について}, year = {2023}, yomi = {フジタニ, アツオ} }