@article{oai:shitennojiuniversity.repo.nii.ac.jp:00000216, author = {加藤, 彰彦}, issue = {66}, journal = {四天王寺大学紀要}, month = {Sep}, note = {アンドレ・ブルトンにおいて無意識というと、シュルレアリスムの中心的な概念であり、そ れは自動記述が無意識の書き取りであり、超現実に至る前提としての夢も無意識の現われであ ることから理解される。ただそのようにシュルレアリスムを創作を中心に考えるのではなく、 ブルトンが『ナジャ』において無意識への依存を表明したのは、あくまで主体的な生き方に関 わる問題であると考える。つまり「私は私である」とか「私が私の主人である」ということを 可能にするには、自らの無意識に依存することが正しいとブルトンは考えたのである。これを 明らかにするために、ジャン-ポール・サルトルの自由の問題、デカルトの示した処世的な格 率、『ドリアン・グレイの肖像』に見られる良心の問題、カントの定言命法と仮言命法、レイモ ンド・チャンドラーによるフィリップ・マーロウのハードボイルド的生き方、ジル・ドゥルー ズの逃走、ラカンの言う大文字の他者の存在等に言及し、無意識がいかに主体の確立に関与し ているかを明らかにした。}, pages = {119--149}, title = {アンドレ・ブルトンにおけるシュルレアリスムと無意識}, year = {2018}, yomi = {カトウ, アキヒコ} }