@article{oai:shitennojiuniversity.repo.nii.ac.jp:00000275, author = {平川   , 茂}, issue = {68}, journal = {四天王寺大学紀要}, month = {Sep}, note = {公民権運動の結果、1964 年に公民権法、1965 年に投票権法が成立し、その後アファーマティヴ・アクション・プログラムが実施されたことによって雇用と教育の面で黒人の機会は大幅に拡大した。それにもかかわらずその後、黒人貧困層の社会・経済的状態にはほとんど改善が見られなかった。それは、なぜなのか? これが「ポスト公民権運動問題」であった。この「問題」にリベラル派とも保守派とも違った独自の立場から取り組んだのがS. Steele であった。 彼は公民権運動が勝利した後の時期( 1960 年代後半)における自己の経験の考察に拠りながら、この「問題」にアプローチした。そしてこの時期、白人社会と黒人の間に「不幸な共生」関係が生まれたことを明らかにした。この「共生」関係の下では、自分たちが人種差別をしていたことに対して「罪悪感」を持った白人はアファーマティヴ・アクションを実施することによって、黒人から「赦し」を得た。他方、黒人は白人の罪を赦すことによって、アファーマティヴ・アクション実施という「成果」を得た。この「共生」関係がとりわけ黒人にとって「不幸な」ものであったのは、そこでは黒人は自らの状態改善の「主体」とならずに済ますことができたからであった。しかしながら、誰であれ、またどんな集団であれ、自らの状態改善に「主体」として深く関わることができなければ、自己の社会・経済的状態を改善することはできない。それゆえ公民権運動が勝利した後において黒人の状態を「停滞」させたのは、この「不幸な共生」関係であったということになる。}, pages = {31--48}, title = {勝利の後の「停滞」 ― S. Steele の「ポスト公民権運動問題」論をめぐって―}, year = {2019}, yomi = {ヒラカワ, シゲル} }