@article{oai:shitennojiuniversity.repo.nii.ac.jp:00000276, author = {藤谷 , 厚生}, issue = {68}, journal = {四天王寺大学紀要}, month = {Sep}, note = {聖徳太子信仰の萌芽は、すでに奈良時代に見ることができ、『上宮太子菩薩伝』や平安時代に成立する『聖徳太子伝暦』などの伝記資料が、その先駆と位置づけられているということは周知の話である。しかし、実際的な太子信仰の進展は平安時代中期以降に見られ、それは主に念仏聖たちによる一信仰形態として、日本仏教の展開の中では極めて重要な意味を持つと考える。 本稿は、特に聖徳太子信仰の拠点である二上山の東に存在する叡福寺の太子廟、浄土信仰のメッカでもあった當麻寺(当麻寺)、さらに極楽の東門として位置づけされた四天王寺を結ぶ大阪から二上山を巡る竹内街道に焦点をあてながら、古代から中世に見られる思想的、信仰的変遷の特徴に論及しようとする一研究考察である。}, pages = {49--59}, title = {聖徳太子信仰と「太陽の道」 ―二上山を巡る竹内街道の思想と信仰―}, year = {2019}, yomi = {フジタニ, アツオ} }