@article{oai:shitennojiuniversity.repo.nii.ac.jp:00000286, author = {原田 , 三朗}, issue = {68}, journal = {四天王寺大学紀要}, month = {Sep}, note = {東井義雄の『培其根』は、八鹿小学校長である東井が、教師たちが毎週書く『週録』の「反省記録」の中から他の教師たちにも読んでもらいたいものを抜き出し、それにコメントを付けて便りとして発行したものである。東井は、そのもとになる『週録』の「反省記録」にも、一人一人の教師に丹念にコメントを書いていた。  東井の下で、6 年間八鹿小学校で勤務した千葉孝子の6 年生を担任したときの『週録』が見つかった。そこには、毎週提出される千葉1)の『週録』の「反省記録」に対して、東井のコメントがぎっしりと綴られていた。千葉が「反省記録」に綴る日々の出来事や悩み、喜びなどに対し、東井はその倍以上の文字数で返事を書き、それが、1 年に渡って繰り返されている。そこに記述されているやり取りは、千葉、そして、東井自身の学びの履歴でもある。そして、そこに記述されている出来事からは、登場する八鹿小学校の教師たちが東井校長の下、ともに学び合いながら八鹿小学校の教育を推進していった様子をとらえることができる。  本論では、千葉の『週録』を手がかりに、校長としての東井がそこに何を綴り、どのような学ぶ教師の姿を求めたのか、そして、それによって、どのような教師たちの姿が具現されていったのかについての考察を試みた。そこからみえてきたのは、東井が『週録』を通して、教師同士をつなげ、直接的な対話を促し、授業や日々の教育活動について検討し合うことのできる教師集団を形成しようとしていたことである。そして、そこに創出されていたのは、対話を通して構築された現場の教育学である。果たして、現在、日常的に教師同士がどれだけ、対話を通して、目の前にいる子どもの姿に応じて、授業や日々の教育活動を省察し、自分たちの言葉で日々の授業や教育活動を構築することができているのか。東井と千葉との『週録』上でのやりとりは、こうした現場の教師間における対話の問題を現在の私たちに問いかけている。}, pages = {227--256}, title = {八鹿小学校長東井義雄が求めた学ぶ教師の姿 ~千葉教諭の『週録』( 1970 年4 月~ 1971 年3 月)にみられる 東井との対話を手がかりにして~}, year = {2019}, yomi = {ハラダ, サブロウ} }