@article{oai:shitennojiuniversity.repo.nii.ac.jp:00000349, author = {坂田, 達紀}, issue = {69}, journal = {四天王寺大学紀要}, month = {Mar}, note = {村上春樹の「カンガルー日和」は、伊勢丹デパート主催のサークル雑誌に1981 年に発表された、3400 字程度の分量の短編小説である。その後、単行本3 冊、文庫本1 冊、全集のうちの1冊(いずれも短編集)に収載され、現在では高等学校国語教科書にも採録されている。  この作品について作者の村上自身は、「それほどたいしたこと」をおこなっていない、「日常のひとこまの、ちょっとしたスケッチ」でしかない作品などとコメントしているが、実際には、短編集刊行の際の表題作にしたり、何度も短編集に収載したり、その間二度大きく改稿したり、といった扱いをしている。つまり、村上は、自身の言葉とは裏腹に、この作品に対して強い思い入れ・こだわりを持っていたと考えられるのだが、その原因はいったい何であろうか。  また、村上は、「動物園や水族館に行くと、人はいつも自然に子供の目を取り戻せるような気がする。僕はそういう視線を描きたかった。」とも述べているが、この作品において、果たして子供の視線を描けているであろうか。  本稿では、これらの問題を解明すべく、本作品がどのように読めるのか、その読みの可能性を、管見に入った先行研究を踏まえ、これらを詳細に検討しながら分析・考察した。その際、本作品の発表時期を考慮し、同時期に書かれたいわゆる初期三部作(『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』)との関連性に着目した。 結論として、作品「カンガルー日和」は、その主テーマ題も文体も、初期三部作と同じものを読み取ることが可能な作品であることを指摘した。つまり、本作品には、初期三部作の頃の村上の主テーマ題や文体が凝縮されている、ということである。そして、このことが、村上のこの作品に対する強い思い入れ・こだわりの要因ではないかと指摘した。また、村上が意図した子供の視線については、作品の改稿によって、読み取り難くなっていることがわかった。併せて、「カンガルー日和」という一風変わった表タイトル題についても考察し、本作品がサリンジャーのA Perfect Day for Bananafish から「タィトルを取った」、「タイトル先行式書き方」で書かれた作品と考えられること、および、村上がこの表タイトル題を気に入っていたと推測できることを指摘した。もちろん、このこともまた、村上のこの作品に対する強い思い入れ・こだわりの一因と考えられる。 つまるところ、初期三部作との関連において作品「カンガルー日和」を論じた先行研究は管見の限り存在しないが、本作品は、それとの関連において読むことにより、従来指摘されることのなかった主テーマ題や文体を析出することが可能な作品なのである。本稿の分析・考察の結果は、本作品が従来の読み方とは異なる読み方もできることを示したという意味で、この作品を国語教材として用いる際にも参考になるものと考えられる。}, pages = {7--39}, title = {村上春樹の「カンガルー日和」について}, year = {2021}, yomi = {サカタ, タツキ} }