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アンドレ・ブルトンにおけるシュルレアリスムと精神分析
https://shitennojiuniversity.repo.nii.ac.jp/records/281
https://shitennojiuniversity.repo.nii.ac.jp/records/281c2bf9343-9829-402b-8c78-514ff468aacf
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
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公開日 | 2019-10-08 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | アンドレ・ブルトンにおけるシュルレアリスムと精神分析 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | Surrealism and psychoanalysis in André BRETON | |||||
言語 | en | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | アンドレ・ブルトン |シュルレアリスム |ジル・ドゥルーズの『シネマ』 |ジャック・ラカンの精神分析 | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
著者 |
加藤 , 彰彦
× 加藤 , 彰彦 |
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抄録 | ||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||
内容記述 | ジル・ドゥルーズの『シネマ』において示されている映画に対する姿勢とは、何かの理論によってそれを解釈・分析するのではなく、それをそのまま鑑賞するというものであるが、対象に向かうあり方が果たしてそれで可能かをアンドレ・ブルトンのシュルレアリスムの研究のあり方において検証したのが本論考である。我々の基本的態度は、何ものにも依らずに分析・解釈できるとするとそこに俗流心理学が入り込んでくることをロラン・バルトによって示した上で、ジャック・ラカンの精神分析によりシュルレアリスムの分析・解釈が可能となると考えることにある。まず第一部においてドゥルーズとラカンを対比させ、シュルレアリスム的手法、シュルレアリスム的時間、シュルレアリスム的存在、シュルレアリスム的精神の一点、シュルレアリスムの非順応主義、シュルレアリスムが目指すところ、シュルレアリスムの小説について検討し、ドゥルーズの有効性を認めつつも、最後にどうしても残ってしまう欲望の問題をラ カンの精神分析によって捉えていくしかないことを明らかにした。次に第二部において、ラカンのみを取り上げ、シュルレアリスムにおける自由、ブルトンの自己同一性、シュルレアリスム的倫理、シュルレアリスム的言語、芸術としてのシュルレアリスムについて検討し、現実変革というブルトンの欲望を維持し続けるものはラカンの言う対象a であると考えられることから、シュルレアリスムの分析・解釈手段としてのラカンの精神分析の有効性を示した。 |
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書誌情報 |
四天王寺大学紀要 号 68, p. 123-154, 発行日 2019-09-25 |
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出版者 | ||||||
出版者 | 四天王寺大学 | |||||
ISSN | ||||||
収録物識別子タイプ | ISSN | |||||
収録物識別子 | 1883-3497 |